まるんぶら

あゆまる/まるーや のたんぶら。 「言いたい放題、自重しない」をモットーにしています。




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生への執着というのは普通に生きている人間の方が強いのかという問題。

 単刀直入に言って・・・。
 強いと思いますか?
 只淡々と生きる事にのみ集中している人間の何処に生への強い執着が見られますか?
 死まで考えて何度も死を実行しようとする彼らと。
 毎日只似たような事を繰り返して次の日が来るのを待ち遠しくも思わなくなった人間と。

 幼い頃、私は明日が来るのが待ち遠しかった。
 早く寝なければいけないのが嫌だった。
 でも、早く寝れば早く明日になるよと言われて、明日を待った。
 今日逢った人と、明日逢えるか。そんな事だけでも、明日を、未来を待ち遠しく思った。

 そんな事を忘れた人間のなれの果てが、上記の2パターンだったら、どうしますか。
 いや、どうもしないならそれはそれでいいのですが。
 忘れる事は仕方が無いのです。
 それでも、明日を待つ心を無くしてしまってから、人はどう生きられるのでしょう。

 生への執着は、子供は強いのではないでしょうか。
 勿論育った環境というのはあります。
 それでも、明日になったら何かがある、何かが変わると思うその心は確実に生への執着に当たるでしょう。

 自殺願望を持つ人は、生に対して、希望や期待があるのではないでしょうか。
 日々淡々と過ごす人は、生に対して、希望や期待を捨てたり持たなくなったりしてしまったのでしょうか。
 持てなくなったりしたのでしょうか?
 持っている方もいらっしゃる事は前提としておきますが。

 私の持論・・・などといった偉そうなものではないですが。
 自殺願望を持つ人間というのは、それだけ生に対して執着しているのだと思います。
 生に対して真面目だから。
 夢を持ったり、夢を無くしたりしても、生きる事に誰より執着して、誰より貪欲なのではないでしょうか。

 少なくとも、自殺を賞賛するのでは決して無いですが、日々を淡々と過ごす人より、という意味で。
 自殺願望を持つ方は、生への執着が強いのだと私は考えています。
 私は自殺願望を持っているわけではないのですが。
 もう少しだけ、ポジティブな方向に持っていけたらいいんですけど、ねぇ。
 本当にいいのは、未来に希望を持つ事だというのは、当たり前なんですけどね。
 皆さん、明日が楽しみな時って、どれくらいありますか?

希望の力が大きければ、絶望の力も大きくなる。

日々を淡々と消化している人は、希望の力が小さい分絶望の力も小さい。

「絶望した!○○に絶望した!」と言いながら死にたがるのと、

「うぜぇ、だりぃ、つまんねぇ」と言いながら生きるのと。

実はものすごく似てるのではないか。

「生きたように死ぬ」のと、「死んだように生きる」。

絶望になってしまったた希望を抱えて自死するのも、淡々と何となく寿命を食いつぶして淡々と死ぬのも、おんなじなんじゃないかな。

ちなみに学生時代の私は、自分が自殺した後皆が泣いたり絶望のどん底に落とされるのを想像して「ほれざまーみろpgrwww」とほくそ笑んでました。

覚えてほしい、泣いてほしい、注目してほしい心がそうさせたのかもしれない。

生きるとは何なのかなんてわからない。

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